初春

 正月休みが終り、はや一週間が過ぎました。今年も宜しくお願いします。皆様も、穏やかで、健やかな一年でありますように。
 年始めのギャラリーは、1〜3月、恒例の本田義夫氏です。是非ご覧下さい。以降、ギャラリーの展示予定者は、以下の方々です。こちらの作品も是非ご覧ください。

 4〜6月 今回が初めての白土文子氏
 7〜9月 恒例の本田ふさ代氏
 10〜12月 今回が初めての高山翔氏

 今年度限りで、当ホームページはクローズします。ダイアリーの更新は、これが最後です。永い間のご愛顧に感謝します。

                         店主

 

 

 

 

 

 

 

 

 




  転々

 [Like a rolling stone]、イギリす的に訳すと、転がる石には苔も生えない=何も飾らない素のままになる。ボブ・ディランが、この言葉を、どの様に捉えていたのかを理解する散文があるらしく、虚飾の世界に居た金持ちの夫人が、時は移り、今は、没落して炊き出しの食事を施しを受けていると云う荒筋らしい。詰まり、言葉の意味仁則して使っていると思う。

 今年も、師走となり、残りも極僅か。転がる石は止められない。「儘よままよ」とすれば、人生、為すがまま、世の中、成るがままとなり、時代の流れに身を任せることも悪くはない。ただ、虚飾に塗れることなく、素のままでいたいと思う。そもそも受賞したり、賞賛されることもない人生です。皆様も良い年を迎えられます様に、来年も宜しくお願いします。














  随意

 退職後、地元に帰ってきたU氏は、家庭菜園で収穫した物をお裾分けしてくれる。今年も、トマトやキュウリに始まり、トウモロコシ、オクラ、大根、菠薐草や春菊、薩摩芋、小豆に似たササゲ豆等、様々な物を頂いた。血液のO型に拠るのか、大体、儘よ儘よと生活する。畑仕事も余計な事はせず、耕して種を植えると、後は、水やりと草抜きくらいだと云う。

 それでも立派に生ってくれる植物は凄い。それに、ひき替え、今の子育ては過保護なのか、穢い事、危ない事を避け、無難な事ばかりをさせる。小学生から塾通い、良い大学に入り、大会社に就職する事を目指す。やっとの思いで入った会社では、残業ばかりの毎日が続き、叱責されるの事が多くて絶えきれず、鬱病になっただの、自殺した等と話を良く耳にする。











  捨飾

 大学への通勤は山手線を使い、学生食堂でうどんを食べる。家族とスキーに行っても一人で原書を開く。100歳で亡くなられた三笠宮崇仁さまの日常だ。戦時中は軍人として中国へ赴任、中国への無理解や残虐行為に幻滅、軍参謀の立場にありながら反省を求める内部文書をまとめて、日中戦争が長引き解決しない原因は、日本陸軍軍人の「内省」「自粛」の欠如と断じた。

 当時、危険文書として扱われた。将校達は、「これも大御心だと昭和天皇を持ち出す。結局、自分自身の御心だったわけですね」と語り、戦後の開かれた皇室のあり方への発言もあった。西洋史を学び、古代オリエント史に行き着いた。戦前の紀元節を建国記念日として復活のに反対したのは歴史家としての矜恃だったのだろう。現代史の生き証人がまた一人逝った。












  仮面

 20年程前、K町に移住し、ギャラリー・カフェ「H」を営むアーティストのK氏は、早世されたアーティストUさんと二人で来られた。当店にも作品を展示してくれる。何時だったか、ふらりと来店されて、茶飲み友達を持った方が良いかもと云われるので、「子供もいないし、一人では淋しいですね」と応えた。お互いに頼り、頼りあう人が居た方が良いと思う。

 韓国で伝承される人形劇、木彫りの仮面を付けて踊らされる女性の人形をコットウカクシっと呼ぶ。母は凶弾に倒れ、大統領だった父は側近に刺殺された、女性初のP大統領の自叙伝「絶望が私を鍛え、希望は私を動かす」と。40年来の親友のチェ・スンシルさんは頼り、頼られる間柄ではなかったのか。大統領に様々な助言を与え、仮面劇よろしく背後から操ったのか。









  欺瞞

 昨年の三月に亡くなられた古代史学者の上田正昭さんが、山陰地方を文化の先進地としない事が如何に史実離れした偏見であると事を教えてくれた。既成のものの見方を疑う事を知った。北方の中国や朝鮮半島の人々が日本に定住する事を「日本書紀」は帰化と記した。「古事記」は単に渡来と記した。古代史学界は、今だに既成概念に囚われた欺瞞に満ちた世界だ。

 記紀神話の思想性も理解せず、実在しないとする欠史八代が持つ意味も知ろうともしない。実在しない人が、あり得ない年齢で記されたのであれば、何らかの理由が在ると思う。弥生遺跡の豊富さと福岡県の糸島が「イト」と通音すると云う事だけで、「東南陸行五百里」と云う倭人伝の記述も無視する。始めに伊都(いと)国ありきと云う考えから離れられないらしい。











  名誉

 廃人、いや、俳人のN氏は不満が爆発する。著書「苦海浄土」等、水俣海や有明海を題材にした作品を発表してきた石牟礼道子さんは、長きに亘り、水俣病と拘わってきた。差別に曝され、麻痺に苦んだ。その間、多くの人が亡くなったが、未だ、その戦いは道半ばだと。今でも、国との訴訟は続き、被害者の失われた人生や、その名誉は回復されないままだ。

 昨年の3月末でハンセン病の隔離廃止から20年を過ぎたが、今も、入所者の38%が仮名のままで生活を送ると云われる。差別を避けようと名前を変え、世の中に存在しない様して生きてきた。簡単に本名には戻せない。親族への影響を考えると躊躇する。何十年も偽名を使い定着してしまった。今尚、家族や故郷から分断され、尊厳の回復が困難な実態が浮かぶ。











  牛歩

 A新聞の投書欄、1994年春の事だった。トルーマン大統領に拠る原爆投下の決断は正しかったと思う人は手を挙げてと、米テキサス州の中学校で先生が生徒にと尋ねた。約30人中、挙げなかったのは日本出身の15歳の女子だけだった。日本人として原爆の恐ろしさを伝える術はないかと考えていた彼女は、憤り、悲しくなった。未来への不安が私の胸を占めたと。

 同じ頃、スミソニアン博物館が準備していた「原爆展」が非難の嵐に曝された。博物館は被爆地の写真や遺品の収集に力をいれたが、現役軍人や議員らは原爆投下機エノラ・ゲイに焦点を絞る様に迫った。結局、中止に追い込まれ、機体だけが展示された。昨年の5月だったか、漸く現役の米大統領として初めてオバマ氏は被爆地の広島を訪れた。猶、牛歩の如し。











  進歩

 空調設備機器の販売と設置を主業務とする会社の名誉会長A氏は、新しい物好きだ。当店の常備雑誌「MONO」を見ながら、スマフォを翳したり、検索したり、新しい物を捜す。いつだったか。欧州ではアナログレコードの発売が半数を占めるらしいです。と云う言葉に対して、彼奴等は、古いものが好きだからと応える程、新しい物=進歩=良い物と云う意識が強い。

 光通信等、インターネットと云う便利なシステムを使い閲覧できる情報がある。確かに居ながらにして、閲覧したり、プリントアウトしたり、利用できるのだから格段の進歩だ。ただ、最近、ハッキング等でセーフティネットを潜り抜け、個人情報がが盗まれると云う事件を耳にする。便利・簡便とは手を抜く事、抜いた手の代わりを入れなければ、危険だと思う。











  一歩

 昨年、首脳会議に併せて、バラク・オバマ前米大統領が広島の平和公園に献花し、資料館を訪れたと云う。現職の大統領では初めてらしい。戦後の永い永い年月を経て、やっとと云う思いを持った人も多いだろうが、米国内では、戦争を終わらせ、多くの人命を救った原爆投下は、正しい選択だったと云う意見が大半だった事を思えば、歴史に残る大きな一歩だろう。

 これが直ちに、原子爆弾の使用を禁止する動きになるとは思えないが、少なくとも多くの人々に原爆投下に拠る被害の悲惨さが知られる契機になればと思う。ただ、少し前の福島原発事故の終息も儘ならず、廃棄する技術や方法すら見いだせない中、当事国のA首相等が、原子力発電の推進派であると云う事実に対して、世界の人々は、どの様に感じているのか。











  退歩

 ニューミニに乗ってくるXさんは、仕事と親の介護で、てんてこ舞い。好きな陶芸教室にも通えないと、ついつい愚痴が溢れる。旦那さんは、殆どタッチしないらしいが、一つだけ、レパートリーは5種か、6種だけど、夕食の用意は一週間単位で交代するという。一昔前の日本のお父さんから考えられない程の進歩だろう。余計なお世話か、どうせなら7種にして欲しいな。

 福井市の仁愛女子高の生徒会ボランティア委員会が駅等に無料の貸し出し傘を200本を置いたのが10年前、お戻し下さいと明記したが、1ヶ月後には9割が戻らず、慈善団体の国際ソロプチミスト福井等からの支援で補充。目立つ派手な色にしたり、返却先を記したメモを付け、善意を促すポスターも作ったが、返却率は上がらず、愛の傘は取りやめになった。











  金鵄

 「広辞苑」神武天皇東征の時、弓の先に留まったという金色のトビ。日本たばこ産業(JT)では最長寿の煙草のゴールデンバット(260円)は、明治39(1906)年に発売を開始した。昭和初期、味と安さで大衆の心を掴み、一番有名な煙草だった。日露戦争の戦費に苦しんだ明治政府は煙草を専売制を強めた直後に発売された。中国の縁起物の蝙蝠を金色で描いた。

 昭和15(1940)年、外来語追放運動により、金鵄(きんし)に変わり、天皇から出征兵士に軍服や軍靴等と共に賜ったと云う。元の名に戻ったのは占領期とある。その後の健康志向に拠り、禁煙や減煙等と、両切煙草は脇に退けられた。国の政策やブーム等、振り回され続けた110年、今後、どうなるのか、金色のコウモリは、永遠に飛び続けられるのだろうか。











  金烏

 造形作家のN氏は、北九州ギラヴァンツの熱狂的なサポーターだ。ワールドカップ等、日本代表選手のユニフォームに付く八咫烏は、神武東遷の途、道に迷った一行を熊野や吉野の山奥から即位の地「橿原」への道案内をしたとされる。天神の命で、建御雷神は国を平定した横刀(たち)、名は佐士布都神(布都御魂)を降すべきと言う。この刀は石上神宮に鎮座するとある。

 金烏玉兎(きんうぎょくと)=中国の伝説に拠ると、太陽に棲む3本足の烏と月に棲む兎から太陽と月。転じて歳月、「烏兎」ともある。その八咫烏とは太陽の中に三足の烏がいるという中国の伝説に拠る太陽の異称で、もしかしたら太陽の黒点の化身かもしれない。神武天皇の東遷、いや、東征の成功、ひいては戦いを勝利に導いてくれるシンボルなのだろう。











  安保

 作詞永六輔、作曲中村八大、坂本九が歌いヒットした「上を向いてあるこう」は、安保条約改定に反対する運動の敗北感から生まれた。とある。その作詞家である永氏は、連日出かけた国会前のデモを蹴散らされ、無力感に沈んだ50歳の夏、参院選に挑み、あえなく落選。今、憲法改定を目論むA総理の自民党と公明党が勝利した昨年の参議院選挙後の7月、83歳で亡くなった。

 米国との安全保障条約を破棄しろとも思わないし、自衛隊は違憲だから無くせとも云わないが、日本国憲法が自主憲法ではないと云うのは間違いだ。天皇制存続の引き替えとも云われるが、発案にあたり、日本側の知識人が関与しており、GHQに提出した最終案を見た米国側の係官リチャーズ・L・ケーディスは、本当に、これで良いのかと何度も念を押したと云う。











  狂信

 昨年、83歳で、永六輔氏の5日後に亡くなった放送作家の大橋巨泉氏は、昭和の文化を支えたと云われる程、多才な人だった。後年、「愛国心は無いが愛民心なら在る」と応えていたらしい。軍国少年として信じていた正義が敗戦で崩れ、国家の正しさを疑わせた事が始まり。他者の全てを否定してしまう狂信的な宗教心や愛国心程、怖いものはないと思う。

 一律に米国から押しつけられた憲法と云う改憲派の論理も同じだろう。縦しんば、押しつけであろうと、それが世界に誇れるものとすれば、堅持すべきかも知れない。どんなに世界の情勢が変わり、時が移ろうと戦争をしてはならないと云う九条の理念や精神は変わらないと思う。テロや、民族的な紛争に対する方策は条件付の法令や条例で済むことと思うが。











  一律

 一人暮しを続けるギタリストのG君は、米国発祥のSBCのレギュラーコーヒーは、二度と飲まないと思ったらしい。最近、コンビニのコーヒーも飲んでみたが、これも負ける劣らずと云う。レギュラーか、インスタントコーヒーかは判らないが、個人消費率が全国でも高い島根県は、近年迄、SBCの出店は無かった。おそらく、コンビニも少ないのだろう。

 ほんの何十年か前、他国の人から見ると、日本人は、皆同じ顔をしていると云われた。それは共同体を第一に考え、個別の考えや意見を持つ必要性が無かったからだと思っていたが、今時の人達も米国発祥のSBCや、コンビニチェーンのコーヒーが何処の店でも同じ味で、同じ値段だから安心するのだろうか。同じ物の方が良いと思っているのかも知れない。











  個別

 昨年の芥川賞「コンビニ人間」の著者村田沙耶香さんは、一律に「まともさ」を押しつけてくる社会からズレていると感じていた。何をやっても上手くできない不器用な人だったが、大学時代、始めたコンビニのバイトに自身の居場所を見つけた。同じ言葉、同じ態度で接客し、季節に合わせた商品を手際よく販売できれば、認められるコンビニは違うと感じたらしい。

 コンビニで勤務するためには接客や商品設定に対する自分の思いや考えを排除し、一律のマニュアル通りに動けば良いのだとすれば、まともさを求める社会と何にも変わらない。ただ単に、自分の性格や趣向に合っていただけだと思う。店長に認められ、チェーン本部に承認されるためには商品を上手く売り捌くために、何らかの思いや考えが必要になるだろう。











  区別

 10匹以上の愛犬と暮らす同級生T君は、道徳的思考の持ち主だ。昨年あった障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件等の記事をを読みながら、こんな事件を起こす人は何が違うのかと聞いてくる。36年間、園で働いた太田顕氏は、開園当初、入所者を連れて外に出ると視線を逸らされた。時が経ち、園から迷い出た入所者をお茶でもてなし、迎えの職員を待ってくれる。

 また、所内作業の出来栄えや、手際の良さ等、入所者に優劣を付け、大声で叱り、手を挙げ、その訴えを無視する事もあって、内なる差別を恥じた。寧ろ、入所者との生活から自分も学ぶ事が多かった云う。逮捕された元職員の言葉「障害者なんて居なくなればいい」は常軌を逸している。彼は何を学んだのだろうか。或る意味、彼も障害者なのかも知れない。











  代用

 伝えたくても伝わらない事があると云う教員退職者のH氏が云うに、お好み焼きや一銭焼き等の「ヨウショク」は、お米を節約するための代用食の事だと云う。斉藤美奈子さんの「戦下のレシピ」には、ホットケーキ、お好み焼き、スパゲッティ風うどん等、中には胡桃入蒸しパンの様な手の込んだものもあったが、お米が配給制になる迄、余り普及しなかったらしい。

 土用の丑の日に鰻を食べる習慣が江戸時代くらいから続いている。日本人は、鮪も好きだが、鰻も大好きだ。今やニホンウナギは絶滅危惧種に指定される。最近では代用品として鯰の蒲焼き、茄子の蒲焼き等、魚の擂り身や野菜の茄子、養殖の鯰迄もが使われているらしい。後学のためにと、或る人が試したが、肉厚の食感から本物からは、ほど遠く適わないらしい。











  珈琲

 インスタントコーヒーの原料の全てがコーヒー豆と思っている人は多い。仮に、そうだとして、一度、淹れたコーヒーを、再度、乾燥させて、態々、抽出時に出た香りを別にしておいて、瓶詰めする仮定で充填する。それでも足りないからか、科学的に作ったコーヒーの香りを補充するらしい。インスタントコーヒー大手のN社には香り付きの銘柄があった。

 何年か前、缶コーヒーの宣伝で、元野球選手Sが無香料宣言等と称して宣伝していたと思うが、これも同様だろう。例えば、インスタントコーヒーの成分表示を見ると、コーヒー豆、他と在る。その隣には、生豆100%としていた時代から、現在では、ピュア100%インスタントコーヒーと宣う。これから推測するに、ほぼ間違いなく代用品を使っているからだと思う。











  希望

 高校球児だった元NHK職員のM君は、家庭の事情で早期退職後、近くに家を建て、時々、顔を出す。その彼が待ち合わせする事の多い小中と同級生のT君に宛てた年賀状に「夢は甲子園に出ること」と書いているらしい。その希望は実現し、勝率は悲惨だが、春の甲子園に2年続けて出場した。そのチームメートの一人は、現在、SBホークスのフロントで働くO君だ。

 昨年の夏、神奈川県の障害者施設で起こった悲惨な事件は、彼等の楽しみや喜びまでも打ち砕いた。障害者の三宅弘子さんは、作業所で豆腐の製造と販売をする。彼女は楽しみはHey!Say!JUNPのコンサートに行くことです。障害者にも意志はあります。相模原の仲間達は紛れもなく私なんだと感じている。不意に襲われないかと、信頼の底が抜ける、と。











  公私

 元S百貨店の社員だったH氏は、長女夫妻や孫たちと同居しているが、食事等は一緒に摂らない様にしているらしい。何故ですか?と云う問いに煩わしいからと応える。次女は、昨年だったか、離婚してバツイチになったと云う。何が理由ですか?と云う問いに、何も聞かないし、何も云わないから分からないと応える。淡泊というか、個人主義というか。

 昨年の夏だったか、今上天皇が自身の思いを述べられ、我々、国民に対して生前退位と云う重い課題を突きつけた。公人の国会議員は、自分の思いで自身の出処進退を決められるが、公人中の公人である天皇陛下は何も自分自身では決められない。昭和天皇も今上天皇も控えている靖国神社へ日本の文化等と称し、憲法等、どうでもよい国会議員は公人として参拝する。











  権利

 昨年、陛下のお言葉があり、職責の重さを、これほど率直に語った事はなかった。自らの人生の終わりに迄、言及されるのを聞き、象徴天皇と云う大役を果たされてきた明仁様の素顔が垣間見えた。傘寿を過ぎた今も、殆ど休日らしい休日はない。公務は云うに及ばず、私的な外出や、体調までも常に国民の視線に曝され、家庭内のさざ波迄もが増幅して論じられる。

 年を重ねてなお、生活が公人のままと云う事は間違いない。私的な事を述べるのに、どれほどの思いと決意がいったのだろうか。これ迄に会見で述べられた「公」と「私」をめぐるお言葉は、私人として過ごす時にも自分達の立場を完全に離れる事はできません。私は(結婚する迄)家庭生活をしてこなかった。天皇と云う立場にある事は孤独とも思えるものです。等々。











  伝達

 伝えたくても伝わらない事があると云う教員退職者のH氏は、気になる題材で文章を書いているらしい。ITと呼ばれて久しいが、ヤフーのオフィスでは机をジグザグに並べているらしい。歩く途中で同僚と声を掛け合う機会をつくるためだという。一見、効率は悪いが、違う部署の同僚とのたわいのない会話から新たな気づきが生まれる事を期待していると云う。

 事務用品大手コクヨの研究員斉藤敦子さんは、本当の知恵は提案書や報告書ではなく人間にある。人と人のコミュニケーションの方がずっと刺激が大きいのです。社員が気軽に集まれる様、居心地の良いカフェを設ける企業が増えていると云う。こうした話を聞くと、滅び行く喫茶店と云う業種の存在意義も見直され、新たな形で残っていけるのかも知れないな。











  伝承

 美男美女カップルのXさんは、尖閣列島に近い先島諸島の宮古列島出身らしい。祖母はユタの系統だと云う。継がなくいいの?と聞くと、判らないと応える。ユタとは、入巫や成巫の過程で創出された特殊な神を奉じ、生涯に亘る守護神として信仰し、先祖の系統を捜したり、死んで間もない人についての判断(ハンジ)する等、ユタは精霊の世界の一分野に即応する。

 中央集権や体制強化、近代化を進めたい支配階層は、神秘的、超自然的なユタの能力の存在を脅威や障害と捉えることが多かった。その実在を裏付ける科学的根拠がないため、在野のシャーマン「ユタ」は幾度も弾圧され、摘発を受けている。一方、日常的に人々と神を親しくする存在でもあった。現在でもユタを騙って金儲けをする者が、後を絶たないと云う。











  差別

 沖縄県の普天間基地の記事を見る度に思う。「自国政府にここ迄虐げられる地域が他にあるでしょうか」と云う翁長沖縄県知事の言葉に耳を傾ける本土の人(やまとんちゅ)は、どれほど居るのだろうか。隣町の南風原町出身のウルトラマンのメインライターだった金城哲夫は、沖縄戦と基地問題を描こうと脚本家を目指して上京、怪獣ものに託して自分の物語を書いた。

 那覇市生まれの脚本家上原正三氏は、金城哲夫氏に誘われて、円谷プロに入った。55年に上京、基地のない車窓の景色に驚いた。沖縄出身と明かした途端、大家に下宿を断られた。「悔しくは無かった。ただ、この差別の正体を知りたい。ずっとそう思って生きてきた」。本当に沖縄は日本なのか。二人の作品世界は、沖縄と日本、米国の関係を色濃く映すと云われる。











  意外

 ミニに乗ってく来る教職退職者は、ロックのギターはジミ・ヘンドリクスで終わったと云い、儘よ、ままよと歌うボブ・ディランのファンだ。あれだけ大勢に抗い、平和や人々の生き様を[Like a rolling stone]=なすがまま/なるがままと歌ったのだが、アメリカ的な思想や意識であれば、ノーベル文学賞を貰っても致し方ないのかも、貰えるものは貰うか。

 一方、「作家が栄誉を受け容れると読者に或る種の圧力を与えてしまう」。作家としての信念に反すると、1964年に文学賞を辞退した仏文学者「サルトル」だ。文化勲章を辞退した名優杉村春子さんは、「頂くと勲章が首に掛かっている様で、何時もきちんとしていなくちゃいけない。もっと自由でいたい。ただ、芝居をして居たい」と、権威に囚われない姿が爽快だった。











  終始

 大政奉還から150年、舞台となった二条城の築城を命じた家康は、慶長8(1603)年、公家や諸大名を招いて祝賀の宴を張った。それから四半世紀、明治天皇が幕府討伐の詔を発したのも、この城だった。天皇家の「菊」と徳川家「三葉葵」が、交錯、歴史が大きく動いた御殿を有料の貸し出しを見当しているらしい。スーツ姿の要人が会議を開く姿が来るのかも知れない。

 慶応3(1867)年10月、徳川慶喜は京都・二条城の二の丸御殿で幕府役人たちに説いた。「このままで行けば、日本が三百の大小国に分裂するほかない。徳川家が政権を返上しさえすれば、それが一つに纏まる」。幕府の終りを告げる雄弁に誰も動けなかったと、司馬遼太郎の小説「最後の将軍」にあるらしい。家康・吉宗以来の英邁な将軍は幕藩体制の限界を悟っていた。











  投句

 廃人、いや、俳人のN氏は、主催する同人誌の俳句の批評で不満が爆発する。当り前の事を当り前に、見たままの事を見たままに詠んでどうするの、違う側面や違う言葉で詠んで欲しいと。確かに云われる通りだと思う。ただ、いつも思う事だが、人は技術的に優れたものや良いものだけに感動するのではない。森重久弥の歌う知床旅情に聞き入るのは何故だ?

 音楽や絵画、焼き物等でもそうだが、夫々に技術的な事や伝統的な事があり、それに則さないと良いものはできない等と思っている人は多い。確かに、俳句なら季語をを使う事で、それが持つ積み重なった背景が句に広がりや奥行きを与えるとされる。だが、眼前の情景に感動したと、素直に詠んでも、鑑賞した人と通じ合えば、良い句になると思うだが。











  届出

 1956(昭和31)年、チッソ水俣工場付属病院院長故・細川一医師が原因不明の脳症状を水俣保健所に届けた日から、昨年は、60年の節目だった。手足の痺れ、言語障害等の症状に苦しむ患者達を診て、究明に乗り出す。工場排水を連日与えた猫に同じ症状が現れ、衝撃を受け、研究を本格化させたいと申し出るが、チッソ幹部の我が社の見解に合わないと拒絶される。

 60代で引退した。娘や若い環境学者に説得されて、チッソへの恩義と医師としての良心の狭間で苦悩し、心が揺れる。第二水俣病を新潟の現地で目の当たりにして、患者側に寄り添う決意をした。現在でも典型症状があるのに、偏見に対する恐れや情報不足のため、病の認定や救済策を受けていない人が1500人以上居ると聞く。全面解決と云うにはほど遠い。













  放漫

 10匹以上の愛犬と暮らす同級生T君は、道徳的思考の持ち主だ。イスラム世界の争いやテロは、アラブ部族長が集まって話し合ったら収まらないのか等、質問してくる。或る時、雑誌を読んでいた顔を上げて、日本は、食品ロスが世界一多いらしいと云う。確かに、一時、デパ地下やコンビニの期限切れ食品や時間切れの弁当や総菜の廃棄が問題になった事があった。

 長野県松本市では懇親会等で、冒頭30分と終会前10分は席を立たず食にべる30・10(さんまる・いちまる)と云う運動が行われる。廃棄食を減らそうと菅谷市長の提案で始まった。企業にも拡がり、家庭版30・10も考案された。毎月30日は冷蔵庫のクリーンアップの日、10日は勿体ないクッキングの日、大根の皮やブロッコリーの茎、古いパンを使ったレシピを紹介する。











  傲慢

 神をも恐れぬほど驕り高ぶる状態をギリシア語でヒュブリス(傲慢)とされる。最近、そうした人々が政界や経済界には多い様に感じる。少し前のT女史やM女史、H氏やI氏、福岡県選出のA氏や山口県選出のA氏等、挙げればきりがない。「イソップ寓話集」の戦争を意味するポレモスは女神ヒュブリスを恋煩い、何処にでも付いていった。笑顔の後から戦争がやって来る。

 関西経済連合界の副会長S氏の言葉「何故、一地裁の裁判官によって国のエネルギー政策に支障を来す事が起こるのか。こういう事ができない様、速やかな法改正を」と。これなど政界と経済界が立法・司法・行政と云う三権分立の概念すら無視する典型的な事例だ。いや、そんな事はどうでも良い。経済効果が最優先だろう。儲からなければ、意味がないとでも云わんばかりだ。











  自慢

 甘い物に目のない知人のMさんは、TVニュースを見ながら、郷土の誇りだったM氏は東京大学法学部を次席で卒業したのですか。びっくりぽんや。そんな彼女に、政治家Fさんやバラエティ番組で引っ張りだこのH氏もそうだよと。法学部は六法全書や過去の判例を丸覚えして使い方を学ぶだけで、論理的なのではない。詰まり、記憶力は良いが、頭が良いのではない。

 裁判を行う法曹界では、白=無罪か、黒=有罪、何れでもない=灰色の三つに振り分けて決定するだけで、哲学の如く真理を追究するわけではない。因みに同期の首席は、昨年、亡くなったF県K市を含む区から先出された衆院議員、お母様から、お小遣いと称して、毎月、一千万か、二千万円を貰っていたと取り沙汰されていたH氏と云う。郷土の自慢になろうか。











  既成

 A新聞の記事に「伊都国に弥生の硯」と云う文字が踊る。中国の史書「魏志倭人伝」に登場する伊都国の都とされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡の弥生土器や樂浪系土器が集積した土器だまりでで見つかった。硯は石製で長さ6a、幅4.3a、厚さ6_の破片、薄く裏面の粗い加工等、中国漢代の板石硯と特徴が一致する。復元すると長さ17aの略長方形とある。

 弥生時代の硯が発見されたのは、島根県松江市の田和山遺跡に続いて国内二例目。中国や朝鮮半島に近い、この辺りは列島と海外を繋ぐ窓口だった。「倭人伝」伊都国に女王卑弥呼が派遣したとも云われる役人や海外からの使いが来ており、文書等も点検したと云う記述を裏付け、贈答品の返礼書作成等、外交文書の遣り取りが行われて居たと市教委はみる。











  規制

 病気で長期療養中だったスマフォとスーパー銭湯中毒のS君は、スマフォで様々な事を検索する。その合間、スーパー銭湯に出かけてサウナで汗を流すという生活を続けていたが、職場復帰した。以前と変わらない生活を送っているのかしら。歩き煙草ならず、歩きスマフォを規制すべきと云う意見も多い。熱中する余り、電車のホームから転落すると云う事故もある。

 ここ十年くらいか、運転中の携帯電話の使用は禁止されたが、自転車に乗ってスマフォを見入る若い人が増えていると云う。何が、そんなに楽しいのか解らないが、自然に親しむ機会の多い人ほど、スマフォの使用時間が多く、美術館や博物館を利用する機会の多い人は、それを使用する時間が少なかったと云う結果が、米国の大学だったか、報告されているらしい。











  欺瞞

 昨年の三月に亡くなられた古代史学者の上田正昭さんが、山陰地方を文化の先進地としない事が如何に史実離れした偏見であると事を教えてくれた。既成のものの見方を疑う事を知った。北方の中国や朝鮮半島の人々が日本に定住する事を「日本書紀」は帰化と記した。「古事記」は単に渡来と記した。古代史学界は、今だに既成概念に囚われた欺瞞に満ちた世界だ。

 記紀神話の思想性も理解せず、実在しないとする欠史八代が持つ意味も知ろうともしない。実在しない人が、あり得ない年齢で記されたのであれば、何らかの理由が在ると思う。弥生遺跡の豊富さと福岡県の糸島が「イト」と通音すると云う事だけで、「東南陸行五百里」と云う倭人伝の記述も無視する。始めに伊都(いと)国ありきと云う考えから離れられないらしい。











  名誉

 廃人、いや、俳人のN氏は不満が爆発する。著書「苦海浄土」等、水俣海や有明海を題材にした作品を発表してきた石牟礼道子さんは、長きに亘り、水俣病と拘わってきた。差別に曝され、麻痺に苦んだ。その間、多くの人が亡くなったが、未だ、その戦いは道半ばだと。今でも、国との訴訟は続き、被害者の失われた人生や、その名誉は回復されないままだ。

 昨年の3月末でハンセン病の隔離廃止から20年を過ぎたが、今も、入所者の38%が仮名のままで生活を送ると云われる。差別を避けようと名前を変え、世の中に存在しない様して生きてきた。簡単に本名には戻せない。親族への影響を考えると躊躇する。何十年も偽名を使い定着してしまった。今尚、家族や故郷から分断され、尊厳の回復が困難な実態が浮かぶ。











  牛歩

 A新聞の投書欄、1994年春の事だった。トルーマン大統領に拠る原爆投下の決断は正しかったと思う人は手を挙げてと、米テキサス州の中学校で先生が生徒にと尋ねた。約30人中、挙げなかったのは日本出身の15歳の女子だけだった。日本人として原爆の恐ろしさを伝える術はないかと考えていた彼女は、憤り、悲しくなった。未来への不安が私の胸を占めたと。

 同じ頃、スミソニアン博物館が準備していた「原爆展」が非難の嵐に曝された。博物館は被爆地の写真や遺品の収集に力をいれたが、現役軍人や議員らは原爆投下機エノラ・ゲイに焦点を絞る様に迫った。結局、中止に追い込まれ、機体だけが展示された。昨年の5月だったか、漸く現役の米大統領として初めてオバマ氏は被爆地の広島を訪れた。猶、牛歩の如し。











  進歩

 空調設備機器の販売と設置を主業務とする会社の名誉会長A氏は、新しい物好きだ。当店の常備雑誌「MONO」を見ながら、スマフォを翳したり、検索したり、新しい物を捜す。いつだったか。欧州ではアナログレコードの発売が半数を占めるらしいです。と云う言葉に対して、彼奴等は、古いものが好きだからと応える程、新しい物=進歩=良い物と云う意識が強い。

 光通信等、インターネットと云う便利なシステムを使い閲覧できる情報がある。確かに居ながらにして、閲覧したり、プリントアウトしたり、利用できるのだから格段の進歩だ。ただ、最近、ハッキング等でセーフティネットを潜り抜け、個人情報がが盗まれると云う事件を耳にする。便利・簡便とは手を抜く事、抜いた手の代わりを入れなければ、危険だと思う。











  一歩

 昨年、首脳会議に併せて、バラク・オバマ前米大統領が広島の平和公園に献花し、資料館を訪れたと云う。現職の大統領では初めてらしい。戦後の永い永い年月を経て、やっとと云う思いを持った人も多いだろうが、米国内では、戦争を終わらせ、多くの人命を救った原爆投下は、正しい選択だったと云う意見が大半だった事を思えば、歴史に残る大きな一歩だろう。

 これが直ちに、原子爆弾の使用を禁止する動きになるとは思えないが、少なくとも多くの人々に原爆投下に拠る被害の悲惨さが知られる契機になればと思う。ただ、少し前の福島原発事故の終息も儘ならず、廃棄する技術や方法すら見いだせない中、当事国のA首相等が、原子力発電の推進派であると云う事実に対して、世界の人々は、どの様に感じているのか。











  退歩

 ニューミニに乗ってくるXさんは、仕事と親の介護で、てんてこ舞い。好きな陶芸教室にも通えないと、ついつい愚痴が溢れる。旦那さんは、殆どタッチしないらしいが、一つだけ、レパートリーは5種か、6種だけど、夕食の用意は一週間単位で交代するという。一昔前の日本のお父さんから考えられない程の進歩だろう。余計なお世話か、どうせなら7種にして欲しいな。

 福井市の仁愛女子高の生徒会ボランティア委員会が駅等に無料の貸し出し傘を200本を置いたのが10年前、お戻し下さいと明記したが、1ヶ月後には9割が戻らず、慈善団体の国際ソロプチミスト福井等からの支援で補充。目立つ派手な色にしたり、返却先を記したメモを付け、善意を促すポスターも作ったが、返却率は上がらず、愛の傘は取りやめになった。











  金鵄

 「広辞苑」神武天皇東征の時、弓の先に留まったという金色のトビ。日本たばこ産業(JT)では最長寿の煙草のゴールデンバット(260円)は、明治39(1906)年に発売を開始した。昭和初期、味と安さで大衆の心を掴み、一番有名な煙草だった。日露戦争の戦費に苦しんだ明治政府は煙草を専売制を強めた直後に発売された。中国の縁起物の蝙蝠を金色で描いた。

 昭和15(1940)年、外来語追放運動により、金鵄(きんし)に変わり、天皇から出征兵士に軍服や軍靴等と共に賜ったと云う。元の名に戻ったのは占領期とある。その後の健康志向に拠り、禁煙や減煙等と、両切煙草は脇に退けられた。国の政策やブーム等、振り回され続けた110年、今後、どうなるのか、金色のコウモリは、永遠に飛び続けられるのだろうか。











  金烏

 造形作家のN氏は、北九州ギラヴァンツの熱狂的なサポーターだ。ワールドカップ等、日本代表選手のユニフォームに付く八咫烏は、神武東遷の途、道に迷った一行を熊野や吉野の山奥から即位の地「橿原」への道案内をしたとされる。天神の命で、建御雷神は国を平定した横刀(たち)、名は佐士布都神(布都御魂)を降すべきと言う。この刀は石上神宮に鎮座するとある。

 金烏玉兎(きんうぎょくと)=中国の伝説に拠ると、太陽に棲む3本足の烏と月に棲む兎から太陽と月。転じて歳月、「烏兎」ともある。その八咫烏とは太陽の中に三足の烏がいるという中国の伝説に拠る太陽の異称で、もしかしたら太陽の黒点の化身かもしれない。神武天皇の東遷、いや、東征の成功、ひいては戦いを勝利に導いてくれるシンボルなのだろう。




  個食

 ギタリストのG君は、うらびれた一人暮しを満喫しているらしい。殆ど手抜き料理の食事だが、好きなものを好きな時に食すと云う。個食=家庭内で、家族が揃って食事せず、各自ばらばらな時間に食べる事とある。何時の頃からか、この国では、家族揃ってテーブルを囲んで笑顔の「団欒」等、死語だ。夫々の個室で好みの番組を見ながら個食、「いただきます」も云わない。

 個室を持ち、独立心を養うのは悪い事ではない。ただ、家族との繋がりを無くしてしまっては、社会生活を営み、知人との繋がりを持つ事はできないだろう。米国のTV番組でホームドラマ等を見ると、二・三才の子供が自分の室で親に寝かしつけられているが、朝食や夕食は、家族でテーブルを囲んで食べる。時々、家長が神に感謝する風景等も映し出される。












  集団

 働き蟻の集団には働かない蟻が、2〜3割位は居るらしい。先日、英科学誌に論文を発表した北大准教授長谷川英祐さん等に拠ると、集団には欠かせない存在らしい。コンピューターで、勤勉な蟻だけの集団と怠け者の蟻を交えた集団でシミュレーションすると、後者の方が長く生き延びると云う結果が出たと云う。一斉に働く集団は、結局、一斉に疲れて働けなくなる。

 例えば、卵の世話等の片時も手が離せないと、仕事も出来なくなり、斯くて集団は壊滅する。一方、普段、サボっている蟻は、皆が疲れて休むと、代わりに働き、卵の世話もする。短期的には無用と思える個体は、長期的には実に有用なのだと云う。翻って人間界では働きの悪い会社員を「ローパフォーマー」、略して「ローパー」、殺伐とした響きが、社会の歪みを映す。












  個人

 一寸、変わり者の中学の同級生S君は、月々の年金とアルバイトで質素だが、ゆとりの暮らしを楽しんでいるらしいと、これまた、小中と同級生のT君に聞いた。半世紀前、中学の入学時、強制的に丸坊主にさせられた。当時、厭だったと振り返り、校則に過ぎないのに、放課後や休日も自宅でも町中でも全生活を隈なく拘束する権利侵害だと云う人は多い。

 しかし、こうした強制的な事が子供の情操教育には欠かせないと思う。或る新聞紙上の投書欄、長期の休みに宿題を出さないで欲しい。通学時にできない事をしたいからと。これに対し、或る小学校長から賛意が寄せられたという。子供は下校すると学校から自由の存在だと。一見、正しい様に感じるが、学校から自由だとしても、家庭内、社会ではどうなのか。












  自由

 未成年の児童や生徒でも基本的人権を有すが、何かしらに枷に縛られ、全てが自由ではあるまい。成人すると多くの権利を有す。一方で、社会的責任や義務が課せられる。コンビニで万引きすれば、咎められるだろうし、世間の目に曝され、社会的に葬られるかも知れない。人を殺せば、法に問われ、少年院や刑務所に送られて不自由な生活を送ことにもなるだろう。

 子供達は、自由と不自由さを感じ、楽しい事や嬉しい事、悲しい事、辛い事、様々な経験をして学び、成人していくと思う。昨年だったか、万引きしたと云う事実ではない記録で推薦できないと云われた中学生が自殺すると云う事件があった。こうした事件は、社会生活を営むために培われた大人としての責任や人としての義務を履行する事で無くせると思う。












  放漫

 10匹以上の愛犬と暮らす同級生T君は、道徳的思考の持ち主だ。イスラム世界の争いやテロは、アラブ部族長が集まって話し合ったら収まらないのか等、質問してくる。或る時、雑誌を読んでいた顔を上げて、日本は、食品ロスが世界一多いらしいと云う。確かに、一時、デパ地下やコンビニの期限切れ食品や時間切れの弁当や総菜の廃棄が問題になった事があった。

 長野県松本市では懇親会等で、冒頭30分と終会前10分は席を立たず食にべる30・10(さんまる・いちまる)と云う運動が行われる。廃棄食を減らそうと菅谷市長の提案で始まった。企業にも拡がり、家庭版30・10も考案された。毎月30日は冷蔵庫のクリーンアップの日、10日は勿体ないクッキングの日、大根の皮やブロッコリーの茎、古いパンを使ったレシピを紹介する。












  傲慢

 神をも恐れぬほど驕り高ぶる状態をギリシア語でヒュブリス(傲慢)とされる。最近、そうした人々が政界や経済界には多い様に感じる。少し前のT女史やM女史、H氏やI氏、福岡県選出のA氏や山口県選出のA氏等、挙げればきりがない。「イソップ寓話集」の戦争を意味するポレモスは女神ヒュブリスを恋煩い、何処にでも付いていった。笑顔の後から戦争がやって来る。

 関西経済連合界の副会長S氏の言葉「何故、一地裁の裁判官によって国のエネルギー政策に支障を来す事が起こるのか。こういう事ができない様、速やかな法改正を」と。これなど政界と経済界が立法・司法・行政と云う三権分立の概念すら無視する典型的な事例だ。いや、そんな事はどうでも良い。経済効果が最優先だろう。儲からなければ、意味がないとでも云わんばかりだ。












  自慢

 甘い物に目のない知人のMさんは、TVニュースを見ながら、郷土の誇りだったM氏は東京大学法学部を次席で卒業したのですか。びっくりぽんや。そんな彼女に、政治家Fさんやバラエティ番組で引っ張りだこのH氏もそうだよと。法学部は六法全書や過去の判例を丸覚えして使い方を学ぶだけで、論理的なのではない。詰まり、記憶力は良いが、頭が良いのではない。

 裁判を行う法曹界では、白=無罪か、黒=有罪、何れでもない=灰色の三つに振り分けて決定するだけで、哲学の如く真理を追究するわけではない。因みに同期の首席は、昨年、亡くなったF県K市を含む区から先出された衆院議員、お母様から、お小遣いと称して、毎月、一千万か、二千万円を貰っていたと取り沙汰されていたH氏と云う。郷土の自慢になろうか。












  既成

 A新聞の記事に「伊都国に弥生の硯」と云う文字が踊る。中国の史書「魏志倭人伝」に登場する伊都国の都とされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡の弥生土器や樂浪系土器が集積した土器だまりでで見つかった。硯は石製で長さ6a、幅4.3a、厚さ6_の破片、薄く裏面の粗い加工等、中国漢代の板石硯と特徴が一致する。復元すると長さ17aの略長方形とある。

 弥生時代の硯が発見されたのは、島根県松江市の田和山遺跡に続いて国内二例目。中国や朝鮮半島に近い、この辺りは列島と海外を繋ぐ窓口だった。「倭人伝」伊都国に女王卑弥呼が派遣したとも云われる役人や海外からの使いが来ており、文書等も点検したと云う記述を裏付け、贈答品の返礼書作成等、外交文書の遣り取りが行われて居たと市教委はみる。




  入婿

 小学・中学校の同級生の元高校球児のO君は、春の甲子園に2年続けて選ばれた。退職後、近くに家を建てた事が切っ掛けで、10匹以上の愛犬と暮らす同級生T君と、度々、来店する。本来、隠岐島出身、我が家と同様、当地が栄えていた頃だろうか、船乗りだった祖父か曾祖父の代に流れてきた。現在も島には親類がおり、養子になって母方の姓だろか、「M」を名告る。

 我が家は、両親とも曾祖父や祖父の代に愛媛県越智郡の弓削島から流れてきた。母方の姓は「前田」ですが、何故か、祖父は「川辺」と云う家から長女だった祖母の婿養子に入ったらしい。現在、弓削島の前田家は長男系統が嗣いでいる。父方の長男系統には島の氏神(弓削神社/饒速日命・天照皇大神?)を祀る神官の娘が嫁いできた。我が家系は伊勢神道だったらしい。











  連累

 戦後生まれの戦争責任に対して、「imbrication」=鱗状に列ぶ→係り合い・連座と云う英語で論じるテッサ・モーリス・スズキと云う豪州の歴史学者が居る。罪はないが、事後の共犯的な関係を云う。例えば、収奪行為に直接的に関与していなかったが、収奪されたものに由来する恩恵を、現在、受けているケースだ。詰まり、彼女自身も収奪された土地に住む一人だと。

 不正義を支えた差別や排除の構造は係わりのある人々が積極的に是正の行動に動かないと生産され続ける。先住民アボリジニーへの収奪や虐殺、日本の慰安婦問題や北海道の先住民アイヌへの差別等、その背景には性差別や民族差別があった。河野談話を否定しようとする人々の言動を見ると差別が生き続けていると事が判る。先ずは、意識を向けて忘れない事だ。











  連綿

 伝えたくても伝わらない事があると云う教員退職者のH氏は、現役時代、夏休みの平和教育で、戦争や原爆の悲惨さを語ってきたが伝わったとは思えないと云う。しかし、100人中、一人でも、その思いが伝わり、次代へ伝われば、良いと思う。決して容易な事ではないが、意識を向けて知り、思いを持ち続け、発言していきたい。負の連鎖が起こらないためにも。

 当時、皇太子だった今上天皇と皇后両陛下の姿が三浦半島の「戦没船員の碑」の前にあった。82歳の誕生日の会見で、戦時の輸送に係わり、犠牲になった民間船員の気持ちを本当に痛ましく思います。戦後70年、様々な面で先の戦争の事を考えて過ごした一年でした。その事を十分に知り、考えを深めていく事が日本の将来にとって極めて大切な事。とも述べられた。










  音楽

 永くビートルズの曲はネットで配信されていなかったらしく、英国のBBC放送は、「イエスタデイ」すら知らない若者が増えていると伝える。ネット配信が悪いなどとは云わないが、気になるのは、自分のお気に入りだけを選び取って聞いている人が多いと云われることだ。詰まり、音楽家のLPアルバム、作曲家の作品全部を聞くと云う行為のないことだ。

 日本人は音楽を好きではないが、歌謡は好きだと思う。クラシックが好きだと云う人に何処が良いですかと聞いて、「白鳥」や「ユーモレスク」「トロイメライ」等、メロディの変化するところがかっこよい等と答える人を、未だ知らない。イエスタデイが名曲たる由縁は、バックに流れるジョージ・マーティン・アレンジの弦楽が持つサビの利いた旋律だと思うのだが。










  共え

 スリランカ生まれの大学教授「にしゃんたさん」、共に楽しむ共楽、共に学ぶ共学、共に育てる共育、何よりは共笑(ともゑ)が大切だ。今の世の中、片方ばかりが笑っている」と言う。確かに良い言葉だと思う。それに倣ってみると、他にも、共愛(ともえ)、共得(ともえ)、共能(ともえ)、共役(ともえ)、共恵(ともゑ)、共会(ともゑ)、共栄(ともへ)、共生(ともへ)等もある。

 一時期、勝ち組と負け組と云う言葉が持て囃されたが、英語の Happy Circle とは、一族郎党が火を囲み、捕らえた獲物を別ち食べる事、そこには笑いが有り、互いを思う気持ちがあった。コンビニで、お握りや菓子パンを買い塾に通う子供達の送り迎えに精をを出す親御に家族団欒と云う言葉はない。「共笑」と云う言葉の精神は最も必要なのは、今の日本かも知れない。











  頂戴

 甘い物に目のない知人のMさんは、ステーキや魚の刺身を食べながら、自然や動物のテレビ番組で猛禽類の鷹や鷲、猛獣のライオンやヒョウ等、肉食動物が小動物や草食動物を捕らえて、むしゃぶり食べているのを見ると可哀相と曰う。島根県の山間、野生の猪を解体する体験イベントで料理店を営む漁師の今田孝志さんに参加者から、残酷って言われませんか?と。

 「言われるけど、じゃあ、あんたの食べているのはなんだって、言い返すね」。日本人には屠殺された牛や豚の肉、獲られた魚の刺身や切り身等が別に在ると云う認識しかない。或る小学校に子供を通わせる親が、給食時、我が子に「いただきます」と言わせるなと捩じ込んだと云う笑えない話がある。自分達が他者の命を頂戴していると云う基本的な事すら理解できてない。











  対等

 一昨年の暮れだったか。夫婦同姓は違憲だと訴えた原告に対する最高裁の判断は「合憲」だった。ただ、こうした事は立法府である国会で議論されるべきとした。もう一つ、女性は離婚後、180日、再婚を禁止するも男女平等に反すると云う訴えは、100日で十分だとされた。子供を産む女性と生んで貰う男性と云う性差を抜きにした憲法上の男女平等とは何だろうか。

 夫婦同性とは、結婚後、女性が嫁入りする場合と、男性が婿入りする場合とがあり、何れかの姓を名告らなければならないとされる。詰まり、性差とは関わりなく家長制と云う枠中で行われてきた。女性に参政権の無かった頃、既婚女性が外に出て働く事は殆どなかったが、ここ何十年か、女性の社会進出に伴い男女雇用均等法等の法令や条例が整備されてきた。











  平等

 ニューミニに乗ってくるXさんは、結婚後、働き続けてきた一人だ。一時、ご無沙汰だったが、退職されたのか。よく来られるので、少し、余裕ができたようですね。と云うと、両親の介護でてんてこ舞いです。と反ってきた。何処も同じだ。ただ、共働き夫婦平等の精神か。食事は週間の当番制で、ご主人のレパートリーは、当初の5品目から増えないらしい。

 離婚後、180日間、女性の再婚を禁止ずると云う民法は男女平等と云う憲法に反すると云う訴えに対して、最高裁は、最近の事情に照らして長すぎる。180日から100日で良いとした。そんな事より、男女平等を云うのであれば、親権の問題に因る規定なのだから、男性も同期間の再婚を禁じた方が良いと思う。もう一つ、夫婦別姓も子供にしわ寄せがありそうだが。













  初心

 開けましておめでとう御座います。皆様も良い年を迎えられた事と思います。昨年の桜の頃だったか、来日した南米ウルグアイ元大統領ムヒカ氏が講演の内容が、前々から思っていた事を略全てを代弁してくれたので、なんだかほっとした。一つ、経済は発展しなくてはいけないのか。一つ、自身の人生を自身で選択しているか、一つ、日本人は本当に幸せなのか。

 最後の一つ、格差の広がりを政治主導で抑制し、解消する努力をしなくてはだめだと云う。地球上の金と財産や資産は、数パーセントの金持ちに偏ると何かで聞いた事がある。その内の幾らかで事足りるだろう、後進国の貧しい地区や紛争で疲弊した人々の復興に使えば、今起こる争いはなくなる。A首相は、そうした事は扨措き経済を発展させて収めようとする。









  疑心

 美男美女カップルのX氏、自分は子供の頃から差別されたり、区別された思いは余りないと云う彼は、在日の韓国人と公言している。彼女は沖縄の宮古島出身らしい。昨年の九月、普天間基地の一部を辺野古へ移転する事に反対する沖縄県を国が訴えた裁判で県側の敗訴が決定した。「日本の地方自治、民主主義に対する禍根を残す」と云う翁長県知事の言葉が重く響く。

 20年前の1995年九月も同じだ。当時、大田県知事は、米軍用地を使えるよう、知事が地主の代理で署名する慣行に従うか、拒否するかと、摩文仁に立つと、「無残な姿で斃れていった多くの学友達の姿が浮かんだ」と署名を拒否、その後、国に訴えられた。未だに同じ事の繰り返しだ。何時になったら、この国は沖縄の人々に対する差別に近い状態を已めるのだろうか。













  安心

 安心と信頼は似ているが違う。社会心理学者の山岸俊男さんに拠ると、他人がどう行動するか、用心しなくても良い状態が安心だ。呪文で縮む輪が孫悟空の頭に在る限り、心配する必要はない。輪が嵌っていなければ、悟空は裏切るかも知れないと、用心が必要になるが、悟空の性格や三蔵法師に対する感情からして裏切るまいと考える事、それが信頼だと云う。

 安心と安全の違いは、前者は自身が持つ感情や心持ちが安らかな事で、例えば、保険に入っているから安心。オートロックで警備保障が付いているから安心。等と使う。後者の場合、その安心感を持つための環境や確信を持つための動機づけとなる。例えば、治安が良く、安全になったので利用者も多くて安心だ。安全な所で安否が確認されたので安心だ。












  安気

 車椅子テニスに夢中だったアーティストM氏が、先日、来店し、ハーモニカを買ったと云う。5年位前には、ウクレレ、10年位前は、ピアノと5年おきに趣味が増えていく。と云うより、変わって行くのかもしれない。器用と云うか、安気と云うか。当方、頑固で不器用だからか、一度、始めると、中々、止められない。そんな彼に対して羨ましいと思う事がある。

 中学時代から30代迄、バンド音楽にのめり込んだ。これも大して上達せず、惰性の如く続けた。今、言葉の事や古代史にのめり込む。次から次に不可解な説に対する疑問が解け、分かると、更にまた、疑問に突き当たると云う繰り返し、右往左往する毎日だ。ただ、余り、厭だと思う事がないからか、安気に楽しんでいる。死ぬ迄に一つ二つの結果が出せれば良い。



 
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